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大阪高等裁判所 昭和50年(人ナ)1号 判決

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 島田信治

同 高畑光興

同 木内道祥

拘束者 甲野一郎こと 甲野太郎

右代理人弁護士 井上二郎

被拘束者 甲野一夫

右代理人弁護士 松田英雄

主文

(一)  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

(二)  手続費用は、拘束者の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  請求者

主文同旨

二  拘束者

(一)  請求者の請求を棄却し、被拘束者を拘束者に引渡す。

(二)  手続費用は請求者の負担とする。

≪以下事実省略≫

理由

一  請求者と拘束者は、昭和四七年一一月一六日に婚姻届を提出した夫婦であって、被拘束者は、昭和四八年八月二日その間に出生した長男である。

請求者は、拘束者と結婚後、奈良県○○市○○○町×の××所在の拘束者の自宅で結婚生活を始めたが、被拘束者を出産するにあたり、実家である兵庫県○○市○○×丁目×番×号乙山春夫方に帰り、被拘束者が生まれた後も引き続き実家にとどまり拘束者と別居したまま被拘束者を養育監護していたところ、昭和五〇年二月二五日拘束者が被拘束者を請求者のもとから連れ去り、現在、前記拘束者の自宅において被拘束者を養育監護して、拘束しているものである。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件拘束の顕著な違法性の有無について検討する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実を認めることができる。

請求者は、昭和四六年三月頃から日産ギャラリーに勤めていたが、同年五月頃、ラジオの公開番組の会場として使用された日産ギャラリーに、芸能タレントである拘束者が出演したことから知り合い、交際を始め恋愛結婚をした。請求者は、勤めをやめて、結婚後拘束者の前記自宅で夫婦二人の結婚生活を始めた。しかし、請求者は、主婦として、日常の家事が得手という方でなく、実家との接触も多く、一方、拘束者の方は、性格が短気で怒りやすく、家庭生活においても請求者を些細なことから叱りつけたり、時には殴ったりすることがあり、その結婚生活は双方にとって満足のいく状態ではなかった。しかも、請求者も拘束者も相手方の両親としっくりせず、双方の両親同志もお互に不信感をもつといった状態であった。

請求者は、昭和四八年七月頃、被拘束者を出産するにあたり、請求者からの希望で拘束者の了解のもとに前記実家に帰り、同年八月二日○○市内の○○産婦人科病院で被拘束者を出産し、同月八日同病院を退院したが、拘束者からの求めにもかかわらず拘束者のもとに帰ることを嫌がって引き続き実家にとどまり、以後、請求者と拘束者は別居の状態に移った。そして、被拘束者は、その出生後、請求者の実家に引きとられた。請求者の実家は、隣り合せの借家を二軒借り、請求者の父(六一才)、母(五三才)、弟二人(二三才、一六才)、妹(二〇才)がいて、いずれも健在で、父、弟、妹らの収入で生活をしているものである。請求者は、これらの家族の助力を得て、愛情をもって被拘束者の養育監護に専念し、被拘束者はほぼ標準児として順調に成育していた。もっとも、被拘束者は、やけどを負ったり、時には医師の診断を受けることもあり、ことに、昭和四九年一二月上旬には急性大腸炎とそれに伴う脱水症状で入院し、生命に危険なほどの状態に陥ったこともあったが、請求者らの監護によって健康を回復した。この間の被拘束者の出産費用、養育費用は、すべて請求者の方で負担した。これに対し、拘束者の方では、昭和四九年一二月上旬の被拘束者の右入院費用を負担したが、出産費用も養育費用も負担しようとしなかったし、この間、拘束者がその両親を伴って、産院から退院した請求者と被拘束者を数回訪ずれただけであった。

一方、拘束者は、被拘束者を自分の手許に引きとって養育したいという希望から被拘束者を請求者のもとから連れ去ることを計画し、昭和五〇年二月二五日午前一一時頃、請求者の実家を訪ずれ、請求者の了解を得て被拘束者を屋外に連れ出し、八ミリカメラに撮ったり遊ばせたりしていたが、請求者が拘束者からの求めで水を汲みに屋内に入ったすきに、乗ってきた自動車に被拘束者を乗せて連れ去った。拘束者は、請求者から被拘束者を奪い返されることをおそれ、同年三月一九日頃まで拘束者が以前世話になったことのある師匠夫人丙川月子方にあずけた後、拘束者の自宅に引きとった。拘束者の自宅はかなり広く、昭和四九年九月上旬頃から拘束者の父(六一才)、母(六〇才)、弟二人が同居している。拘束者は、芸能タレントとしてかなりの収入をあげているが、テレビ、舞台の出演等で帰宅するのが早くて夜一〇時、遅ければ午前三、四時という状態で、忙がしいときにはホテルに泊まることもあり、その他、地方公演等もあって、被拘束者の遊び相手になって面倒をみるなどのできる時間も少なく、専ら拘束者の母秋子が以前の看護婦、助産婦の経験を生かし、すでに無職の父親とともに熱心に被拘束者の世話をしており、被拘束者も拘束者の両親になついている。そして、拘束者としては、今後もこのまま自分達の手許で被拘束者の養育監護を続けることを強く望んでいる。一方、請求者は、被拘束者を奪われた後、これより先昭和四九年五月一三日拘束者を相手方として大阪家庭裁判所に申立てていた離婚調停(同裁判所昭和四九年(家イ)第一五一九号)の期日において拘束者代理人に対しくり返し被拘束者の引渡を求めたが、結局、引渡を拒絶され、この間、全く被拘束者と会うこともできない状態であった。請求者としては、今後、勤めに出て養育費を捻出し、その実家の家族の援助を受けながら被拘束者を手許に引きとって養育監護することを強く希望している。

≪証拠判断省略≫

(二)  ところで、夫婦関係が破綻し別居状態にある夫婦にとって、共同親権に服する意思能力のない幼児の監護に伴う拘束状態の当、不当を決するについては、別居した夫婦のいずれに監護させるのが幼児の幸福に適するかどうかを基準としてこれを定めるのが相当である。そして、請求者と拘束者の夫婦関係の破綻の主たる原因がそのいずれにあるかの点はしばらくおき、以上の認定した事実によれば、請求者は、母親として、被拘束者の出生以来、拘束者に奪われるまで一年六ヵ月余り被拘束者を自らの膝下において養育監護してきたものであり、今後もその監護を強く希望しているものであるから、二才にも満たない被拘束者にとって、母親である請求者の膝下で監護されるのが最も自然であり、幸福であることは明らかというべきである。もっとも、請求者の監護のもとにあった当時、被拘束者の生命の危険にかかわるような状態に陥ったこともあったが、請求者らの努力で健康を回復しており、また、看護婦、助産婦の経験をもつ年長の拘束者の母親秋子の現在の養育監護状況に比べ、請求者のそれが必ずしも十分でない面が窺われないではないが、だからといって、請求者が母親としての資格、育児能力等に著しい欠陥があると認めることはできない。また、請求者は、近いうちに勤めに出ることが予定されており、勤務時間中は、実家の母親乙山夏子に被拘束者の世話をまかせることになるが、実家の家族の助力のもとに請求者が被拘束者をその膝下において養育すること十分可能であり、また、被拘束者との接触についての時間的余裕に欠けるところはないものと認められる。一方、拘束者としても、忙がしい仕事をもっている関係で、被拘束者を手許においても、養育をほとんど拘束者の父母にまかせている状態であって被拘束者との接触がそれほどあるものとも認められない。更に、収入、その他物質面において、請求者よりも拘束者の方が優っていることは否定できないが、拘束者は被拘束者の出産費用、出生後の養育費用等を負担した様子がうかがわれないのである。そうだとすれば、被拘束者を拘束者のもとにおく方が請求者に監護されるよりも被拘束者のために適当であるような特段の事情は認められないから、被拘束者は拘束者による不当な拘束状態にあるものというべきである。

そして、先に認定した事実によれば、拘束者は、計画的に被拘束者を奪った後、その引渡を拒むばかりか、請求者と被拘束者が自由に面接することさえもできない状態においていることが認められるから、右にみたように、拘束者のもとで現に行われている養育監護が被拘束者のために適当でないと認められる限り、その監護に伴う拘束に顕著な違法性があるものというべきである。

三  よって、請求者の本件請求は理由があるものとしてこれを認容し、人身保護法一六条三項により直ちに被拘束者を釈放すべきことを命じ、被拘束者が幼児であることから請求者に引渡すこととし、手続費用につき同法一七条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 増田幸次郎 裁判官 仲西二郎 福永政彦)

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